汎用資料Wiki - GoldenDawn Diff
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!黄金の夜明け団
英語での正式名称はHermetic Order of the Golden Dawn。
[[神智学]]、[[薔薇十字思想|薔薇十字団]]、ヘルメス哲学、エジプト神話などを習合させた団体で、近代魔術のマイルストーン的存在。
1888年にウィリアム・ウィン・ウェストコット、ウィリアム・ロバート・ウッドマン、[[マクレガー・メイザース]]により設立された。
!歴史
!!設立の経緯
英国薔薇十字団の団員、 フレデリック・ホックリーが死去したおりに彼の収蔵していた文書から暗号文書が発見され、教区牧師を経由してウィリアム・ウィン・ウェストコットのもとに渡る。
その暗号文書はドイツに存在する魔術結社の参入儀礼や教義などが記されたもので、結社の幹部であるアンナ・シュプレンゲル(魔術名:SDA)なる女性の連絡先も記されていた。文書を解読したウェストコットはシュプレンゲルに連絡を取り、文通の末にイギリスでの魔術結社結成を許可される。
1888年、ウェストコット、ウッドマン、メイザースにより黄金の夜明け団が設立される。
1890年、アンナ・シュプレンゲルの死去と、独立の許可が報される。これ以降、黄金の夜明け団は独立した結社として歩み始める。
以上が黄金の夜明け団設立の経緯であるが、ドイツの結社やアンナ・シュプレンゲルの存在の真偽は不明であり、ウェストコットとシュプレンゲルの文通記録(SDA文書)もウェストコットが捏造したものであるという説がある。
!!設立〜メイザースの台頭
初期の黄金の夜明け団は、オカルト趣味を共有する人々が集う同好会的雰囲気のある団であったと言われている。これは設立母体となった英国薔薇十字団の雰囲気を踏襲したものであると考えられる。
著名な初期メンバーとしては設立に関わった三人の他にはアイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ、ウェイト版タロットを作ったアーサー・エドワード・ウェイトなどがいる。
1891年になるとメイザースが"秘密の首領”と神秘的接触を果たし、組織の改革を始める。
メイザースは位階制や内陣(セカンド・オーダー)であるルビーの薔薇と金の十字架団への参入儀礼を整備し、実践的な魔術結社としての形を整えた。
そして1892年、メイザースはパリへ移住し、1894年になるとパリに支部を開設する。
!!ウェスコット退団〜クロウリー入団
1897年、ウェスコットが黄金の暁団を退団する。この出来事は警察で鑑識官として働いていたウェスコットが魔術師として活動していることが警察の上層部に知られ、公務員として不適切であると注意を受けたからだと言われている。彼の退団により、"英国首領達人”の称号はフローレンス・ファーが継ぐことになった。
翌1898年、[[アレイスター・クロウリーがクロウリー]]が入団。クロウリーはメイザースと仲の良いアラン・ベネットを師と仰ぎ、1899年には内陣入りを希望する。しかし、クロウリーの性格的問題か、反メイザース派の多い英国メンバーの政治的駆け引きか、フローレンス・ファーによりクロウリーの内陣入りは拒否される。しかし、クロウリーは1900年にメイザースのもとで参入儀礼を受け、内陣入りを果たす。
!!SDA文書捏造疑惑〜クロウリー、メイザース追放
1900年頃、メイザースはホロス夫人という詐欺師と度々接触を持っている。ホロス夫人は人伝えに聞いた情報からアンナ・シュプレンゲルを名乗ってメイザースに接触していた。メイザースは彼女との接触で、ウェスコットがシュプレンゲルと接触を持っていないと感じ、彼がパリで行っている活動に対して苦言を呈したファーと、彼女たちを指導している(と、メイザースが思い込んでいた)ウェスコットをSDA文書の捏造を材料に恫喝する。
英国の幹部はこれに対してウェスコットとメイザースに説明を求めるが、両者ともはっきりした回答を出さず、メイザースのでっち上げだという結論に収まった。
メイザースはこれに対してファーを"英国首領達人”から除名、英国側からはメイザースの支部を活動停止処分とした。
この処分に対してメイザースはクロウリーに命じて団が内陣の儀式用に借りている部屋を襲撃させる。警察が呼ばれる騒ぎになるが、警官から民事裁判での決着を薦められる。結局家主からクロウリーは追い出され、法廷での争いもクロウリー側が訴訟を取り下げる形で決着がついた。
この事件をきっかけに、クロウリーとメイザースは正式に除名されることとなり、クロウリーは渡米。メイザースは後にアルファ・アンド・オメガとなるテンプルを設立している。
事件の後、イェイツを首領として組織の再建がはかられるが、内陣の内部で形成された瞑想、幻視を重視するグループ、"スフィア”の処遇を巡ってファーたちと対立。スフィアの公認を機に、イェイツは首領を辞任する。
!!ホロス夫妻の逮捕〜改名
1901年、メイザースから盗んだ魔術文書を利用して詐欺を行っていたホロス夫妻がロンドンで逮捕される。この時夫妻は自分たちが黄金の夜明け団の首領であると自供し、参入儀礼の次第が風紀紊乱であると報道されたため、大量の退団者を出してしまう。
翌1902年に団は首領を三人とし、名称も夜明けの星団(The Order of Stella Matutina)と改名する。これにより、黄金の夜明け団としての歴史にはピリオドが打たれることとなる。
!参考書籍
*{{isbnImg('4336033730')}}
*{{isbnImg('4336033749')}}
*{{isbnImg('4336034060')}}
*{{isbnImg('4336034079')}}
*{{isbnImg('4336034087')}}
*{{isbnImg('4336034095')}}
!参考リンク
!リンク
!黄金の夜明け団
英語での正式名称はHermetic Order of the Golden Dawn。
[[神智学]]、[[薔薇十字思想|薔薇十字団]]、ヘルメス哲学、エジプト神話などを習合させた団体で、近代魔術のマイルストーン的存在。
1888年にウィリアム・ウィン・ウェストコット、ウィリアム・ロバート・ウッドマン、[[マクレガー・メイザース]]により設立された。
!歴史
!!設立の経緯
英国薔薇十字団の団員、 フレデリック・ホックリーが死去したおりに彼の収蔵していた文書から暗号文書が発見され、教区牧師を経由してウィリアム・ウィン・ウェストコットのもとに渡る。
その暗号文書はドイツに存在する魔術結社の参入儀礼や教義などが記されたもので、結社の幹部であるアンナ・シュプレンゲル(魔術名:SDA)なる女性の連絡先も記されていた。文書を解読したウェストコットはシュプレンゲルに連絡を取り、文通の末にイギリスでの魔術結社結成を許可される。
1888年、ウェストコット、ウッドマン、メイザースにより黄金の夜明け団が設立される。
1890年、アンナ・シュプレンゲルの死去と、独立の許可が報される。これ以降、黄金の夜明け団は独立した結社として歩み始める。
以上が黄金の夜明け団設立の経緯であるが、ドイツの結社やアンナ・シュプレンゲルの存在の真偽は不明であり、ウェストコットとシュプレンゲルの文通記録(SDA文書)もウェストコットが捏造したものであるという説がある。
!!設立〜メイザースの台頭
初期の黄金の夜明け団は、オカルト趣味を共有する人々が集う同好会的雰囲気のある団であったと言われている。これは設立母体となった英国薔薇十字団の雰囲気を踏襲したものであると考えられる。
著名な初期メンバーとしては設立に関わった三人の他にはアイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ、ウェイト版タロットを作ったアーサー・エドワード・ウェイトなどがいる。
1891年になるとメイザースが"秘密の首領”と神秘的接触を果たし、組織の改革を始める。
メイザースは位階制や内陣(セカンド・オーダー)であるルビーの薔薇と金の十字架団への参入儀礼を整備し、実践的な魔術結社としての形を整えた。
そして1892年、メイザースはパリへ移住し、1894年になるとパリに支部を開設する。
!!ウェスコット退団〜クロウリー入団
1897年、ウェスコットが黄金の暁団を退団する。この出来事は警察で鑑識官として働いていたウェスコットが魔術師として活動していることが警察の上層部に知られ、公務員として不適切であると注意を受けたからだと言われている。彼の退団により、"英国首領達人”の称号はフローレンス・ファーが継ぐことになった。
翌1898年、[[アレイスター・
!!SDA文書捏造疑惑〜クロウリー、メイザース追放
1900年頃、メイザースはホロス夫人という詐欺師と度々接触を持っている。ホロス夫人は人伝えに聞いた情報からアンナ・シュプレンゲルを名乗ってメイザースに接触していた。メイザースは彼女との接触で、ウェスコットがシュプレンゲルと接触を持っていないと感じ、彼がパリで行っている活動に対して苦言を呈したファーと、彼女たちを指導している(と、メイザースが思い込んでいた)ウェスコットをSDA文書の捏造を材料に恫喝する。
英国の幹部はこれに対してウェスコットとメイザースに説明を求めるが、両者ともはっきりした回答を出さず、メイザースのでっち上げだという結論に収まった。
メイザースはこれに対してファーを"英国首領達人”から除名、英国側からはメイザースの支部を活動停止処分とした。
この処分に対してメイザースはクロウリーに命じて団が内陣の儀式用に借りている部屋を襲撃させる。警察が呼ばれる騒ぎになるが、警官から民事裁判での決着を薦められる。結局家主からクロウリーは追い出され、法廷での争いもクロウリー側が訴訟を取り下げる形で決着がついた。
この事件をきっかけに、クロウリーとメイザースは正式に除名されることとなり、クロウリーは渡米。メイザースは後にアルファ・アンド・オメガとなるテンプルを設立している。
事件の後、イェイツを首領として組織の再建がはかられるが、内陣の内部で形成された瞑想、幻視を重視するグループ、"スフィア”の処遇を巡ってファーたちと対立。スフィアの公認を機に、イェイツは首領を辞任する。
!!ホロス夫妻の逮捕〜改名
1901年、メイザースから盗んだ魔術文書を利用して詐欺を行っていたホロス夫妻がロンドンで逮捕される。この時夫妻は自分たちが黄金の夜明け団の首領であると自供し、参入儀礼の次第が風紀紊乱であると報道されたため、大量の退団者を出してしまう。
翌1902年に団は首領を三人とし、名称も夜明けの星団(The Order of Stella Matutina)と改名する。これにより、黄金の夜明け団としての歴史にはピリオドが打たれることとなる。
!参考書籍
*{{isbnImg('4336033730')}}
*{{isbnImg('4336033749')}}
*{{isbnImg('4336034060')}}
*{{isbnImg('4336034079')}}
*{{isbnImg('4336034087')}}
*{{isbnImg('4336034095')}}
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