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天雲館学院高等学校

天雲館学院高等学校

地権者
学校法人 天雲館

 一般社会生活が困難な異能者や、化け術が不完全な人外の生徒を多く抱える私立高校。寮が併設されている。『構内は治外法権』を地で行く怖いところ。

 日本唯一の神権学生会制を採用している高等学校でもある。

学生会

日本唯一の神政政治を布く学生会。

 役員の数は代により異なるが、会長を憑ろす副会長と、詔を聞く書記は最低限存在しており、これに加えて、副会長をトランス状態へ導く楽士や、実務的な部分で書記を補佐をする会計などが居ることもある。

会長

 基本的に神霊。2005年度の会長はアポローン神であったそうな。

 現在まで、肉体を持った存在で学生会会長を務めた者は三人しかない。初代学生会会長である弘法大師と、80年代に光臨したアテナ神、もう一人は存在したらしいことは記されているが、正確な名前は戦火で失われている。

副会長

 シャーマンである。会長を憑依させることによって、詔を下す。

書記

 実質的な最高権力者。副会長の詔を聞き、それに基づいて実務を行う。

会計

 代により異なるが、主に会計業務と書記の補佐を行う。

2007年度:楽鈴寺灯

楽師

 楽を奏じ、副会長をトランス状態へ導く。書記や会計が兼ねる時もある。

授業

 通常の高等学校と同様のカリキュラムに加え、選択科目として変化術やESP制御法などの社会適応のための授業が存在する。

 男子寮と女子寮に分かれており、それぞれ寮長と、寮棟ごとの棟長が存在する。

 外出には基本的に許可が必要。審査は人間として生活するに問題のない社会適応能力の持ち主であればほぼスルーであるが、人間変化が不完全な妖怪や異能を暴走させがちな異能者の生徒にはなかなか下りない。

 そういった許可が下りない生徒が、しかしどうしてもという場合は、寮長の認可により監視者同行などの条件付きで許可が下りることもある。

緑葉寮

 男子寮。収容生徒数180人。新棟と旧棟の二棟に分かれる。
 新歓コンパで『緑葉寮と十回言う』早口言葉に失敗すると罰ゲームさせられる伝統がある。

桜花寮

 女子寮。収容生徒数200人。三棟が渡り廊下により繋がっている。
 覗きに入った男子生徒は翌朝簀巻きになってかすみ川を流される。というのが、噂か真実かどうかは定かでない。

学生

制服

  • 男子はブレザー、女子はブレザーとセーラーの複合。
  • セーラーシャツは首ぐりの小さい札幌襟、胸当ては無し。色は白。ちなみに、札幌襟はこちらのサイトの造語らしい。
  • タイは、男子がネクタイ、女子がリボンタイ。色は臙脂。
  • ブレザーはボタン四つのダブル。色は濃紺。
  • ベストはブレザーに合わせた色で四ボタンのものになる。
  • ズボン、スカートは緑のチェック。冬服と夏服で色の濃淡が違う。
  • スカートは箱ひだ。
  • 冬服はセーラーシャツ、ベスト、ブレザーの三着を着ることと定められているが、結構みんなベストの代わりにセーターとか着ていたりする。
  • その他指定のコートと革靴、レインコートが存在する。レインコートはド派手な真黄色でデザインが大変よろしくないため、使用している人間はごく希少。
  • 衣替えの季節になるとシャツとベストになる。この時ベストの代わりに別のものを着ているとさすがに咎められる。
  • 夏服は半そでのシャツ。ズボンとスカートの生地が淡い色になる。
  • ボタンは金縁黒地にTuKのロゴ。
  • エンブレムはTuKロゴの描かれた盾に王冠、交差した剣と棒、を蔦が取り巻いている形。ブレザーの左胸、シャツの右袖についている。
  • 女子のズボン着用は2000年以降許可されているが、男子のスカート着用は許可されていない。2002年、ラグビー部部長が生徒総会でこれを男女差別と指摘し、男子にもスカート着用の許可する校則を提案したが、満場一致で否決される。

図案

リンク

ログ
資料リンク

メモ

他界レベル

  • 2:現実の延長線上にある他界

 入学資料に認識霍乱の呪が施されていたり、敷地に結界が敷かれていたりと、人為的に常識世界から隔離されている。ただしあまり派手なことを起こすと学外に漏れるので、風紀委員に切られる。
 学院祭などで外部の人を呼び込む際は1程度まで低下する。

地形と気候風土

交通

 JR吹利元町駅から徒歩8分、近鉄吹利新本町駅から徒歩12分。吹利大橋を霞女街道沿いに北に上った場所にある。

歴史

1815(文化12)
天雲館創始者幸田源八郎、葛城藩主に仕える武士の家に生まれる。
1833(天保4)
幸田源八郎、国禁を犯して日本脱出。
1853(嘉永6)
幸田源八郎、黒船に乗って密かに帰国。霞川のほとりに腰を落ち着ける。
1857(安政4)
幸田源八郎、天雲と号し、西方博遊記を著す。天雲文庫の開設。
1862(文久2)
天雲文庫に天雲館学問所が設置される。
1880(明治13)
天雲館学問所、天雲館大学と名を改める。
1901(明治34)
天雲館中等学校設立。
1915(大正4)
幸田天雲源八郎生誕100年祭。
1933(昭和8)
幸田天雲源八郎死去。享年118歳。
1945(昭和20)
日本敗戦。GHQによる秘密裏の交錯で、学生会が解体される。この際相当数の資料が失われており、戦前の学生会の活動については不明瞭な点も多い。
1948(昭和23)
新学制認可。天雲館学院中学校、天雲館学院高等学校、天雲館大学とそれぞれ名を改める。
1952(昭和27)
学生会の再興。
1986(昭和61)
戦後初めての現人神として、アテナが学生会長の地位に着く。生身の肉体をもって学生会長に着いた現人神は、一般的にこれで三人目とされる。しかし、一人目の弘法太子は伝説の粋であり、二人目は名前すら残っていないことから、事実上最初の一人であると主張する者も居る。

関連地名

関連用語

関連人物

関連作品

チャットログ

http://kataribe.com/IRC/HA06/2006/08/20060809.html#210000
発生に至る過程と、命名案。みんなまともに考えていない。

資料リンク

リンク

Last modified:2007/01/05 18:57:25
Keyword(s):
References:[幸田天雲] [天雲文庫] [渡会由貴] [高校] [幸田源八郎]
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